少年時代を思い出して
『のんのんびより』を視聴したり、近所の子どもが川で何かガサゴソして、
「これなに?!」
と見せに来たりすると、忘れていた自分の少年時代を思い出します。
●少年時代
- 共食いするザリガニを見て泣いたり、
- 猫にザリガニを食べられた残骸が、庭に散乱しているのを見て泣いたり、
- 育てていたカマキリが最後の脱皮で力及ばず、エサ不足で死んでいるのを見て泣いたり、
- カエルにいろいろ食べさせたり、
- 笹船作って追いかけて、ナイアガラの滝に呑まれるのを目の当たりにしたり、
- 川のことをいろいろ教えてくれた老夫婦のうち、おじいちゃんのほうが死んだことを何年も後に知ったり、
- クラゲ突っついたり、
- ウスバカミキリやシロスジカミキリの繁殖に成功したり、
- ホウネンエビとか、タニシとか、おたまじゃくしとか、カブトエビとかを無駄に大量に捕まえたり、
- すごく大きいディアブロ(命名したザリガニの名前)が捕れて喜んだり、
大きいザリガニやクワガタに指挟まれて大量出血したり、 ザリガニ繁殖させたり、 オオクワガタの幼虫が孵ったら、2センチほどのメスでガッカリしたり、 つくしを取りまくったり、 雪で滑り台を造成したり、 雪のかまくらが崩壊して生き埋めになったり、
………。
それでも、ずっと引き寄せられるのは自然です。
●今は
家から走って10秒で生態系豊かな川に着くという立地は、人間形成にとても役に立ちました。
今の子どもは、
「カメみして!」
「この魚なんてゆーん?!」
と言う片手にはときどき任天堂3DSが。
他の人はどういうところで育ったら、どういう人になるんだろか?
TVでは虫が触れない大人がいるらしいけれど、それはどうなんだろうか?
子どもとのスキンシップで一番楽なのは、未だに自然で遊ぶことです。
私のいるところはたぶん、相対的に田舎だから。
●田舎だと思う理由
雨が降ったら庭にカエルが同居する。 だからトノサマガエルの数が減少しているとはとても思えない。 近所の川は未だにウシガエルの繁殖がお盛ん。 長年庭には世代が続いているニホンカナヘビがいる。 川が増水したらサイレン。 お昼はサイレン。 夕方からはコウモリがそこら中で飛行開始。 コンビニは歩いて30分。 小学時代は田植えさせられる。 小学校にはコウモリが大量に住んでいる。 目が覚めたらムカデが添い寝していた。 近所の家の側溝とかでもカニがいる。 公園の砂場から木の破片が出てきたので、博物館に持って行ったら、「500年前くらいの木」と言われた。 近所の山はサル注意の看板が。 ビルがない。マンションはある。 丸善はスーパーだと信じて疑わない。 JR線でもボタンで開けなければならない駅がある。
●ネットで拡散される滋賀県
滋賀県は田舎。それは認めるしかない。
しかしはじめてこれを見たときは一瞬、
「いやいやいや」
と思いました。
これ↓
よく考えてみると、ムカつくけどほとんど真実ということで、何も言えません(笑)
①県内の駅に着きます。
②駅前には平和堂が。
③それを抜けて、しばらく歩くと必ず田んぼが出現。
④田んぼも抜けると?世界に誇れる琵琶湖しかない。
山に登って見下ろすと、
琵 琶 湖田んぼ、集落、田んぼ、集落、田んぼ、集落集落、田んぼ、集落、田んぼ、集落、田んぼ田んぼ、集落、田んぼ集落、田んぼ、集落集落、田んぼ集落、田んぼ、集落、田んぼ田んぼ、集落、田んぼ集落、田んぼ、集落山 山 山 山 山 山 山 山 山
というように、民家が散在している形ですからね。
滋賀県民は琵琶湖をバカにされると、
「水止めるぞ」
とか言いますが、ぶっちゃけとなりに京都という大都市があるから成り立っている県だと思います。
そうでなければ、どこもかしこも田舎だったでしょう。
実際、滋賀県の北部は豪雪地帯ですし、田舎ですし、クマ出ますし。
●田舎と都会
ざっとこんなもんです。
田舎暮らしとしての居住地や別荘があるのも滋賀県の特徴です。
しかし、滋賀県は工場があるにしても、製造業中心なので、不況の煽りを受けやすいです。
そのせいか、休耕地や田んぼの買収により、マンションや分譲住宅が増えました。
私が走っていた草むらは私有地になりました。
人口が減っていくにも関わらず、新しい建物が増えていくというのは悲しいものです。
田舎で育った私からすると、今後ますます生まれた土地によって格差が広がるように思います。
アルバイトするにしても飲食店が中心になります。
希望する業界のアルバイトを探そうにも大変だと思います。
就活でお金がかかるのは、都会ではなく田舎の人であることは間違いありません。
子どもを育てるには田舎が良いと思いますが、最先端の仕事も担う社会人になるんだということも考慮に入れると、かならずしもそうではないと思います。
田舎と都会でできることは天地の差がありますから。
●田舎と科学
私は庭の草1本でも注目に値する面白いものだと思っています。
知れば知るほど雑草でも不思議です。
どうして都会の人はなんの変哲もない、草の道をさっさと通り過ぎてしまうのでしょうか?
そうしない人もいるとは思いますが、それで科学を養う目ができるとは思えません。
そんなものは現代科学では役に立たないという意見もあります。
しかし子どもには子どもなりの知識と発見の論理があるんです。
子どもを見ていると、そのような自分でゼロから考える力を養うことができる材料が豊富にあるのは、田舎のほうだと思います。
●終わりに
なんだかグダグダになりました。
私はとりあえず、自然を知っておくほうが何かと便利だと言っておきたいのです。
災害の場合はもちろんのこと、子どもを守るためにはそれが不可欠です。
どれだけ都会に住んでいようと、自然と地つなぎで生きているんですから。
記事中の写真はすべて自撮りです。