これより自然界に入る!

生物に「どうしてお前はそうなんだ?」と問いかける。

アダーナン・フィン『駅伝マン 日本を走ったイギリス人』

 

駅伝マン──日本を走ったイギリス人

駅伝マン──日本を走ったイギリス人

 

 

目次

プロローグ

第1章 謎だらけの日本の長距離界

第2章 ロシア経由、日本への旅路

第3章 不思議の国ニッポン

第4章 和をもって駅伝となす

第5章 最初の難関

第6章 大学陸上部の練習に参加してみた

第7章 ライバル心と団結心

第8章 日本の伝統的な走り方

第9章 人はなぜ走るのか

第10章 初めての駅伝観戦

第11章 琵琶湖駅伝を走ってわかったこ

第12章 背が低いという日本人の劣等感

第13章 国際色豊かな千葉駅伝の秘密

第14章 ベアフットランニングとの出会い

第15章 日本の学校とスポーツの関係

第16章 全日本大学駅伝を密着取材

第17章 北嶺大行満大阿闍梨との出会い

第18章 実業団チームの「秘密」

第19章 日本式の練習方法はもう古い!?

第20章 日本のクリスマス

第21章 箱根駅伝で垣間見た「ランナー道」

第22章 「河内優輝」という生き方

第23章 実業団ランナーの務め

第24章 最後の駅伝

第25章 古郷イギリスから見た日本の風景

第26章 エキデン・メン

謝辞

 

本記事目次

青い背表紙

アポなし取材は大変だ

日本のスポーツ問題

 

青い背表紙

 

以下の本を読んで影響を受けた方は、図書館や書店のスポーツコーナーにある青色の背表紙に飛びつくようになったのではないだろうか?

  •  『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の走る民族』
  • 『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』
  • 『NATURAL BORN HEROS 人類が失った野生のスキルをめぐる冒険』

 

 ということで今回の書、『駅伝マン 日本を走ったイギリス人』も手に取ってみた方も多いだろうと思う。

 

・『BORN TO RUN(省略)』は人類は獲物を走って捕らえるために走る能力を手に入れた、という説を提唱して世界中で議論が巻き起こった。

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族

BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"

 

 

 

・『EAT&RUN(省略)』は『BORN TO RUN(省略)』で登場した上記の仮説を、スコット・ジュレクというウルトラランナーの人生とミックスさせた。

走るために生まれたという壮大さと一人の人生が語られることによって、不思議と感動的になっている。

 

EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅

EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅

 

 

 

・『NATURAL BORN HEROS(省略)』はまだ読んだことがないが、『BORN TO RUN(省略)』と同じ作者だし、紹介文を見る限りは走るというテーマからは離れずに「人間の秘められた可能性」へ舵を切ったと思われる。

いつか読む予定だ。

 

ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生

ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生"のスキルをめぐる冒険

 

 

 

アポなし取材は大変だ

 

 さて、そんなことから私は『駅伝マン(省略)』も読んでみたのだが少し内容が違う。

日本の駅伝の凄まじいタイムに驚愕したと同時に、なぜ日本人は長距離ランナーで結果を残す人が少ないのか?

ハーフマラソンの記録で日本は他を圧倒している例を挙げている。*1

ガーディアン紙の編集者兼フリーのジャーナリストである著者は興味を惹かれ半年間日本に家族そろって滞在することを決意する。

本書はその生活記録と取材記録を収録したものだ。

 よって人類とか人生とか、そういう壮大な話は本書に登場しない。

タイトル通りで、駅伝に出場する選手と指導者にクローズアップされている。

 目次を見ると千日回峰行の満行者も取材することに成功しているが、たった1回の取材であり内容は全く濃くない。

それに千日回峰行の人たちは大抵歩きだ。*2

 同じように『BORN TO RUN(省略)』も引き合いに出されるがぶっちゃけ本当に小出しにされるだけだ。

なんだか本書は商業チックなものを感じる。

いや、ジャーナリストだから仕方ない。

それに事前にアポを取っての渡航ではなかったのもあって、重厚な取材とはいかなくなっている。*3

 

日本のスポーツ問題

 

 本書でより心に残ったのはやはり日本のスポーツ界の著しいまでの伝統だ。

そこもしっかりスポットをあてられた。

例えばピッチ走法(歩幅を小さくする走法。短足の日本人に合っているとかなんとか)を推す指導者が多いらしい。

アフリカ人やエチオピア人などは、ピッチ走法とは真逆のストライド走法(歩幅を大きくする走法。負荷が大きい)だ。

 日本人にはピッチ走法をする市民ランナーが大量にいるが、ストライド走法とどっちが合っているかは個人差であり、人種差によって決まっているわけではない。

勉強しながら走っているランナーならわかると思うけど、ストライド走法のほうが気持ちがいい。

スピードもでる。

私もストライド走法をするために筋トレとかしている。

ピッチ走法はズルズルと疲労していくし、ダルい、気分も乗らない。

ピッチ走法は好きではない。

 スポーツは外国人のほうが優れているという劣等感も多少はあるだろう。

だが体を支えているのは骨、腱、筋肉、神経…etcだ。

身長とか肩幅とかではない。

 

 また体罰問題も取り上げられている。

これには私も覚えがある。

本書では選手の自主性が重要視されているが、それに必要なのは指導者がなぜこの練習をするのかという説明をすることだ。

登場する日本人指導者はそのやり方で結果を残していた。

 私は柔道部に属していたが、説明なんて何もなかった。

文化祭があったときは22時まで練習だった。

そのときの練習時間は約5時間だ。

主に寝技、打ち込み、乱取り、筋トレの順番だった。

ヘトヘトの状態からさらに筋トレである。

一度それで、ハンガーノックになったことがある。

体内の糖分が空っぽになって体が動かなくなる症状のことだ。

家に帰ってすぐ、気絶に近い状態で倒れこんだ。

次の日も同じメニューの部活である。

それで成長できるだろうか?

 また体罰も受けたことがある。

ビンタだったらしい。

らしいというのは、ビンタが速すぎて私はよくわからなかったのだ。

自分の首が急に左を向いたというのはよく覚えているが。

 さてそんな毎日でモチベーションを実感できるだろうか?

サボれる時を探すようになる。

自分の成長なんて感じられない。

感じるのは強制された苦しみ、ただそれだけだ。

それでいて指導者は言う、「頭が良くないとスポーツは上手くならない」

間違ってはいないが、それで自分を振り返れないのは愚かだ。

 本書に登場するアフリカ勢ランナーは言う。

  • 「日本人は練習しすぎだ」
  • 「長距離練習が多すぎる。スピード練習が全く足りない」

これは柔道でもよくあることだと共感する。

ひたすら息が上がり続ける練習しかない。

自分の体の動きをしっかりと意識する機会なんて全く与えられないのだ。

しゃしゃり出るが、日本のスポーツ界に足りないのは

  1. 効率性の重視
  2. 指導者による説明責任
  3. できるなら個人別のメニュー。それが無理なら効果別の種類豊富な練習メニュー

である。

それを阻んでいるのは協調性重視の日本のスポーツの伝統だ。

だが逆にそれこそが日本のスポーツを感動へ導いている。

皮肉な話だ。

私は本書を読んでそう思った。

*1:2013年、フルマラソンで2時間14分切りをしたイギリス人はゼロ。対して日本はその年に25人が2時間14分切りをしたという。

*2:それでも1日に60kmは歩く。厳しいことに変わりない。

*3:事実取材は何度も断られたようだし、駅伝をしたいという望みは叶わなかった。イギリスに戻って実践したようだ