これより自然界に入る!

生物に「どうしてお前はそうなんだ?」と問いかける。

私、やっぱりキャンプ嫌いです。

 

自然と人間社会は境界線があるのか

 キャンプ、やっぱり嫌い。
なぜかというに自然との一体感が得られない。
現代の文明の利器をフル活用して大層な装備を車で運んでまでフィールドに出る意義を見出せない。
 
 キャンプとは日常生活から飛び出すための方法だという側面があると思っている。
しかしデカいテント、デカい調理台、デカいツーバーナー、ダッチオーブンなどをキャンプでは持っていく。
 それはあなたの部屋にあるものと一体何が違う?
リップストップナイロン?耐水性?デニール
それとも「普段は使わないものだから?」
 
 私からすれば対して変わっていない。
自然はそんなに準備万端の人を手放しで迎えてくれるところではない。
あるいはそういう人には本当の顔を見せてはくれない。
キャンプとは自然を観光化するものなのだ。
 
 自然を自然のまま相手にする。
その時の一体感とともにやってくる、恐怖あるいは畏敬の念。
自分も一個の生命体であり、山の有象無象の生き物と一緒に生を繋いでいるという実存主義的な体験。

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(おそらくクロイロコウガイビル。決してエノキではない(笑)

 

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トレイルランニングのホームコースとしている山。2017年台風21号の爪痕。殺菌効果のありそうな匂いが充満していた。)
 
 
 キャンプでは人との繋がりを感じるだろう。
キャンプサイト」なのだから当然だ。
私は夜から山に入ってトレイルランニングをしながら夜を明かすことがある。
その時の心細さと、沸き立つ自分の生命力のせめぎ合いはなんとも不思議なものだ。
太陽が上がったら感謝のあまり勝手に頭が下がる。
 
 私は自然に入ったら自然と繋がりたい。
神社仏閣に行ってもあまり感動できないのは、そこが私も含めてあなたでも入れる観光地だからだ。
人がいない方が何か感じるものがあったという経験がある人は多いと信じている。
 
 

自然の中で必要なもの

 そんなわけで「キャンプをする人は、何を持って行くかではなく何を持って行かないか」
ということに重きを置いてもらうと、自然との距離が近くなるのでオススメだ。
 
 個人の自由だから強制はできない。
しかし少なくとも、地方の住宅街に隣接するキャンプサイトが賑わっているのに違和感を感じるのは私だけではあるまい。
 
 翻って考えてみると、日本はキャンプする場所がそんなところにまで及ぶほど、自然を欲しているということなのかもしれない。
 
 自然との距離が遠くなると、行動がおかしくなるのかもしれない。
昨今の自然災害によって、日本の地名からどんな場所かを考えることが一時期再評価された。
鬼怒川とかそうだったね。
 
 私は占いや雨乞いを非科学的な、おかしな行動だとは思わない。
むしろ住宅街の隣で合理的にキャンプする方がおかしく思える。
民俗学的なオコナイというのは必死に生を繋ごうとする、非常に実存的な表現でもあったと考えている。
 
 かといって裸になって、山へ帰れなんてことはできない。
それはそれで自殺行為だ。
 少しずつでいい。
「自分の生を支えているものは何か?」
それを確認するためにも、キャンプで結局使わなかったものを置いていけばいい。

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(シンプルだと余計なものが減る。重量、手順、思考など。)
 
 
 キルケゴールは『不安の概念』で表してみせた。
不安こそ自分が存在していると実感させる概念なのだと。
あなたはキャンプで不安を感じたことはあるか?
製品に対する不安ではない。
自己の実在に関してである。
 安全に越したことはないが、人間が大切なことに気づくのはギリギリの時だけだ。
しかもそれは宗教的な体験として自分の脳に深く刻まれるだろう。
「これがあれば、やっていける」
たまには家にあるもののほとんどを置いていってもいいんじゃないか?
 
 

日本のキャンプの弱点あるいはイヤな点

 キャンプより登山の方が好きなのはそのせいなのだろうな。
と、自分では思う。
 日本はキャンプサイトが登山でも指定されている。
「いやいやビバークだから(笑)」というのはグレーゾーンになっている。
それは安全という理由もあるが、一番はゴミだ。
富士山が流し素麺のようにトイレットペーパーで汚い映像は趣味人でなくてもショックだっただろう。
遠くから見ていたのは誰かがケツを拭いていたものだったのかと。
 
 アメリカではご飯をA地点で食べ、休憩をB地点で取り、寝るのはC地点でという行動様式もある。
これは人の痕跡をなるべく残さないためだ。
 日本の有名な山だとそれが一か所に集中し、ヘリで物資やゴミなどを運ぶため、自然をそのままにという意識が薄弱になっている、気がする。
日本式のキャンプの弱点だ。
ゴミは無駄なものではなく、有用だったもの。
しっかり意識を持って「持って行くもの、行かないもの」を考えることは重要だ。
 日本のキャンプサイトがなぜ注意書きの看板だらけになっているか。
自然と触れ合うとともに考えたいものだ。