これより自然界に入る!

生物に「どうしてお前はそうなんだ?」と問いかける。

TV番組『クレイジージャーニー』の田中幹也の回を視聴して昔の自分を忘れていた話

クレイジージャーニー|TBSテレビ

 

 

 初めての本格的な登山は伊吹山のご来光登山だった。

登山装備は完全にゼロ。当時の登山装備を上から下まで箇条書きすると以下になる。

  • 頭・帽子類一切なし。
  • 頭・ヘッデンはなく、ホームセンターにあるような手持ちのライト。家族分のライトがなかったので、一人は100均のLEDライトだった(しかもボタン電池式のもの)
  • 上半身・吸汗速乾でさえない、ただのロンT。ジャケット類、一切なし。グローブなし。
  • 下半身・吸汗速乾でさえない、ただの下着。その上に吸汗速乾でさえない、ただのチノパン。
  • 靴下・吸汗速乾でさえない、ただの靴下。
  • 靴・ナイキのランニングシューズ。ハードユースでアウトソールはツルツルのボロボロ。
  • ザック・今時の大学生でさえ使ってない、ネットにあるようななんちゃっておしゃれ風味のリュック。中には着替えと水筒とタオルと家で作った弁当。ライトの電池の予備を持っていたかは定かじゃない。そして熊鈴は存在自体知らなかった。

これで全部である。詳細に語ろうにもこれが全部である。以上である、という他ない。

 

 当日は神社前の登山口でもヒンヤリしていたのを覚えている。6合目~7合目付近からライトに照らされた水蒸気の流れがよく見えた。携帯のライト機能程度かそれ以下の照射距離しかなかっただろう。白い霧が目の前にあるだけで、前もよく見えない。視認距離は3mほどだった。

 当然ながら吸汗速乾性がない全身の服は生乾きのような湿り気を帯びていた。髪がお風呂上がりにタオルで拭いただけのように濡れている。汗はひいたが代わりに全身が濡れて冷えた。頂上に着いてもそれは変わることがなかった。

 ご来光は諦めて、下山している途中で熊の親子に遭遇した。8合目~7合目の間くらいにいた。7mほど先の登山道を歩いていた。疲れで前をよく見ていなかった。発見が遅れた。

見遣るとすでに登山道の先の草叢がガサガサ動いており、子熊3頭がノソノソ歩いていた。子熊もその後すぐに草叢に姿を消した。もう少し近付いていたらどうなっていただろう。

 

 朝日こそ見れなかったものの、水蒸気の粒の流れ、一番出逢ってはいけない熊の親子との遭遇。逆にそれが私を登山へと掻き立てた。

 

 当時私は大学生で、勉強にドハマりしていた。周りが勉強しない中、図書館に足繁く通ってあらゆる書架を駆けずり回った。

自身の学部学科はもちろんのこと、文学・哲学・心理学・社会学文化人類学民俗学・宗教学を、わからないならわからないままで読んでいった。

書庫整理の処分でタダでもらえる本も随分と持ち帰った。漁の種類別に船のデータを解説しているような本も気になる項目は読んだ。英語の学術書も気になるchapterは翻訳した。

 

 暗くなってから図書館を出るのが日常になっていた。大学で習うような知識は大変楽しかった。むしろ高校までの授業が死ぬほど退屈だった。興味のないやつ、嫌いなやつは全部赤点だった。私の人生はいつも着火が遅い。

 大まかになら大学図書館にある各学問の主要文献を4年間で読破できるだろうなどと考えていた。男と女が戯れつく大学の光景には心底ウンザリしていた。試験前にあたふたしている奴等が多いのがバカの踊りに見えた。

 私は変にピュアなところがあって、大学は知識欲旺盛な人が集まるところだと本気で思っていた。もちろん一部はそんな人がいて、課題レポートなどを話し合い、議論もした。しかしそれはどこの大学でも絶滅危惧種だと悟った。

 なんで?なんで?

どうして私はこんなところで紙の本が20冊入ってるリュックを背負っている?ハードカバーの角が背中に刺さって痛い思いをしてるのは何のため?

自分は正しくなかったのだろうか。大学も結局は高校などと同じ延長でしかなかったのか。

 

 そんなときに家族が藪から棒に持ち出したのが滋賀県最高峰の伊吹山ご来光登山だった。やる気は起きなかったが深夜に家を出るのはなんだか遠出するようでワクワクした。

 リュックは大学で使っていたものを一度空っぽにして転用したものだった。この時のリュックが一番軽かった。本がないもの。軽いに決まってる。

 

 上記の体験をして大学生活が一気に腐ったものになった。行く必要がないとも思った。図書館に行く回数が極端に減った。リュックは軽くなった。本代が減った。

 それから好日山荘に行った。真っ先に確認した商品は熊鈴だった。熊鈴がメチャクチャ高くて血の気がひいた。ウェア類の額を見てゼロが多すぎると思った。

 私が初めて買った登山用品は熊鈴1個だった。ここからが始まりだった。まず買ったのはザック。Deuter の FuturaPro 32 だ。背面ベンチレーションが涼しそうだったのと、デザインに引かれた。それだけ買って色々な低山へ登った。汗染みを見られて普通のズボンだとバカにされても登った。

それより気になったのはランニングシューズは急斜面で滑って、踏ん張りが効かないということだった。

メレルのワゴンセールされている防水性なしのミドルカットトレッキングシューズを買った。

 低山縦走で10分ほど現在地をロストしたときは焦った。次に買ったのはコンパスだった。

稀に見る爆弾低気圧の中、地元の低山を坪足ラッセルしていたら足が凍えた。バーグハウスのトレッキングパンツ(夏用)を買った。

 こんな風に自分に足りないと思うものを買い足していった。誰もが通る普通の道筋だと思う。

 

 だがどこかで、忘れてしまった。

準備なしでもとりあえず山には行けるということを。

山に行くのは自分であり、ギアが連れていくのではないということを。

これがないからこの山には行けないというのは9割が屁理屈だということを。

準備とはただの先延ばしだということを。

 

 登山のことを勉強すれば色々見えてくる。MAMMUTのカッコよさと高額なウェアの数々やアルパインクライマーの体験談や映像と功績、日帰りで行ける山脈でも遭難者や死亡者がいること。ツェルトというビバーク用テントがあること。登山靴が法外な値段がすること。細々としたギアも一気に買えば金が消し飛ぶこと。

 そんなことに思考を巡らせているうちにミレーのドライナミックメッシュやファイントラックのスキンメッシュといったベースレイヤーが登場した。画期的だった。ちゃんと着込めば汗冷えがない。

 

(ミレー)Millet DRYNAMIC MESH NS CREW MIV01248 0247 BLACK - NOIR S/M (EUサイズ)

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ファイントラック(finetrack) スキンメッシュT メンズ BK FUM0412 M

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 時期や時間的に人が多い山は嫌だった。レインウェアを買ってからは天気が悪い日に行くことも格段に増えた。運動量が圧倒的ならレインウェア内の服は湿気と汗でびしょ濡れになって、雨に降られているのと変わらない、体力の消耗を促すだけということも身をもって経験した。

 夜の山は人がいなくて快適だ。ヘッデンの電池が切れて目の前が真っ暗になったときは焦った。それでも誰にも邪魔されない環境は素晴らしい。

 

 単独行は当然、リスクもリターンも全て自分が被ることであり、そこがまた魅力でもある。山岳雑誌では単独行は避けるように何度も書くが、登山してまで人と一緒にいる楽しみがわからない。

私は自分が行った苦痛や疲れを全部背負い込みたいのだ。誰かと分かち合うなんて嫌だ。ムリだ。一人でできないなら行かない方がマシだと思うこともある。

 登山においても楽しみ方は千差万別だ。だが今の登山はお気軽に過ぎる。大人の遠足だ。登山道がなくても、踏み跡がなくなっていても、獣道であっても、そもそも道が一切ない場合でも歩いていく。それが本来の登山だと思う。だからこそ一部の人は未踏ルートとかに惹かれるのだと思う。私にはそんな技術はないが、登山道をただ歩くのに少しグダグダ感があった。もう少しで林道へ降りられるから登山終了、みたいな。

 沢登りで高巻きしても既に誰かが通った痕跡が山奥にあると、ここでも誰かと出会う可能性があるのかとガッカリする。

 

 田中幹也さんは山岳雑誌で名前だけ知っていたが、記事まで呼んだことはなかった。山岳雑誌で読むのはギア紹介のところだけだった。そこに『クレイジージャーニー』で田中幹也さんの回があった。ド反省した。

 私は2019年、カッコいいし機能もいいという理由で、マウンテンイクイップメントのソフトシェルを上下揃えた。4万円ほど散財した。

これで雪山に『快適に』行ける、なんて。

 登山を始めた時に快適なんて機能性はマック考えていなかった。装備を揃えれば快適さまで考慮することは普通だと思う。

しかし、いつの間にか次の山のことではなく、次のギアのことが頭を埋め尽くしていた。

番組中の田中幹也さんはモンベルのハードシェルを着ていた。山でやたらとモンベルを見て毛嫌いしていたが、田中幹也さんの山行はそんなこと関係がなかった。これこそが登山だと思った。山に登るというシンプルさが突き詰められるとこうなるのかと思い知った。今まで私がやっていたような、登山道を外れてロープで降りて浄水器で水を補充したり、深夜の山を歩くなんてことは登山じゃない。ただの遠足だった。その遠足に金をかけている自分が恥ずかしい。

 田中幹也さんのHPの語録を読んで一層その考えが深くなった。

tanakakanya.com

テントが高いから一泊以上の山行はまだムリとかいう考えは現代の考えだった。加藤文太郎は雪中でヤッケを羽織って体育座りで寝ていたじゃないか。私は何もしていない。現代のギアが丁度良い理由付けを作って、それを頼りにしていただけだった。

 丁度良い考えしか浮かばない私は、登山家にはなれない。ある意味登山は安全になってはいけないジャンルなのかもしれない。

 

 レヴィ=ストロース『野生の思考』にはブリコラージュという言葉が登場する。

ブリコラージュとは、今あるもので現状を遣り繰りすることを意味している。

 

野生の思考

野生の思考

 

 

登山に限らず、何事もそうやって生きねばならない。なのに現代は無い物ねだりでやり過ごしている。日常生活ではそれは鬱憤になる。

しかし登山なら止めるものはない、行けばいいだけだ。

私は知らず知らずのうちにシンプルさを忘れてしまっていた。独りで行くくせに回りの目を気にしていた。なんてことだ。

私は「趣味は登山です」と答えるのに抵抗があった。一つはわざわざ言いたくないから。もう一つは世間一般の登山と私にとっての登山に解離があるから。

田中幹也さんの映像を見て色々思うところがあったので述べてみました。