本、読み終えた。クリストファー・マクドゥーガル『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の走る民族』
BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"
- 作者: クリストファー・マクドゥーガル,近藤隆文
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2010/02/25
- メディア: 単行本
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夏は川に裸足で出し入る。
滑らかになった大きな石。
細かな石。
指の間に入ってくる泥。
全てが気持ちいい。
サンダルよりも川を知覚できる。
できれば道も、と思うがそうはいかない。
痛すぎる。
コンクリートに交じる砂利が足裏を突き刺してくる。
結局サンダルなり、ランニングシューズなり履くことになる。
山に入るときはトレランシューズか登山靴だ。
それが人間にとって間違っている形態だという結果があるとすれば、私たちはもう一度裸足になるべきなのだろうか?
本書はタラウマラ族という民族の驚異的な長距離ランナーに会いに行く人々が集まり、トレランをする話だ。
ただタイトルのような「VS」というようなお互いの鎬を削る雰囲気は強烈な読後の印象とならない。
なぜならそれよりも前にたくさんのベアフット(裸足)に関する話が出てくるからだ。
たとえば、
- 高価なランニングシューズを履く人のほうが、安価なランニングシューズを履く人よりも「足の故障が多い」
- 分厚いクッションを備えたソールのほうが薄いそれよりも安定性が悪い。時期が過ぎてクッション性を失ったシューズのほうが足が「安定する」
- 長距離を走る民族に足の故障(シンスプリントや足底筋膜炎など)はみられない。
- ナイキは自身のシューズが「足に悪い」ことを認めた過去がある。
- などなど
ナイキにはフリーランシリーズなるものがある。
アウトソールまでグニャグニャで、足に着いていくから素足で歩くのと同じようなものだと。
大抵のシューズ屋にあるので実物を触ってもらえるとわかるが、分厚いソールである。
私たちがベアフットランニングに立ち戻るには、まず日常のシューズ使用によって失われた足の真の力を呼び覚ます必要がある。
リハビリだ。
だからそれに近い形になるシューズが必要になる。
というわけだ。
これは本当にナイキが謳う裸足トレーニングに必要なものなのだろうか?
だって薄いサンダルは世の中にたくさんある。
私たちはそれを日常生活に取り入れている。
シューズをサンダルに限定してウォーキングにするのはダメなのだろうか?
それこそ私がやっている川を裸足で歩く行為はダメなのだろうか?
私はとりあえず裸足になることが第一歩だと思う。
足裏の神経を十分に使ってやる。
プールや砂浜で裸足になるのに、なぜ違う場所だと包帯のように靴を履きだすのだろうか。
本書では足は酷使されればされるほど成長することも示されている。
本書を読むと「走りたくなる」「裸足になりたくなる」という感想が多いのもうなずける。
こうした一連の話を通してからようやく「VS」の話になる。
しかしそこまで読んだら勝敗なんてどうでもよくなってるはずだ。
速くなるための要素として必要なもの。
それは遺伝子でも、努力でもない。
「それは走ることへの愛だ!」と本書で登場する監督は辿り着く。
山中を走ったことがないならちょっとでもいいから走ってみるといい。
皇居ランナーがバカみたいに思えてくる。
シングルトラックはいらない。
曲がりくねった登山道。
舞い散る葉っぱ。
木漏れ日。
無理のないペースで走ると本当に気持ちがいい。
しかも健康になる。
コツとしては本書内の受け売りになるが「楽に、軽く」だ。
スポーツ界で言うLSDだ。
個人的にはもうプラスして靴の中でも足の指をしっかり地面に食い込ませるように動かすことだ。
これをするだけでも走るのが楽になる。
足を回転させるように、という感覚がすぐにわかるはずだ。
あと、苦しくなった時にこそ口角をあげるべきだ。
ぼやけた視界がクリアになる。
元気にもなる。冗談じゃないぞ。
年齢差が出にくいスポーツ。
それが走ることだ。
なぜなら人類は走るために進化し、生きるために走ってきたからだ。
BORN TO RUN
楽に走ろうよ。
そしたら楽になる。
楽しくなる。