これより自然界に入る!

生物に「どうしてお前はそうなんだ?」と問いかける。

本、読み終えた。土屋智哉『ウルトラライトハイキング』

 

 

本書目次

書斎にて

01 歴史

02 哲学

03 原則

04 日本の流儀

トレイルにて

01 運ぶ、泊まる

02 歩く、着る

03 食べる、飲む

04 気遣い

 

本記事目次

2011年刊行の文庫化

登山におけるライト

登山初心者も参考にしやすい

 

 

2011年刊行の文庫化

 

 アメリカには三大トレイルがあるらしい。*1*2

  1. Pacific Crest Trail (PCT:4200km)
  2. Continental Divide Trail (CDT:4700km)
  3. Appalachian Trail (AT:3500km)

 

私が住む滋賀県にも高島トレイルという長距離トレイルが整備されている。

全長約80kmだ。

全山行が歩きなら1週間は要するらしい。

アメリカのトレイルがどれほど広大かよくわかる。

特にPCTとCDTはアメリカを縦断するトレイルだ。

その道を重い装備で行くのは苦行だろう。

 エマという70歳に近いおばあちゃんは上記のATを3回もスルーハイクに成功したという。

しかも荷物は水を含めて9キロ以下。

驚愕である。

現代日本においても9キロ以下というのはせいぜい2泊くらいが限界では?

 後には装備を減らすことに対して思想的な思惑を持って実践するレイが登場し、ウルトラライトハイキングのムーブメントを巻き起こします。

本書はそのような軌跡を前半で追い、現代でできる軽量化のノウハウを後半で知ることができます。

文庫化されてとてもコンパクトになりました。

本文は200ページもありません。

 

 

登山におけるライト

 

 個人的にライトハイキングはギアの軽量化を図ること。

ギアを買い替えたりします。

 で、ウルトラライトハイキングになると「このギアはこれにも使える。じゃぁ、あのギアは持って行かない」というのが具体的な表現になるのかなと思います。

つまり専用ギアという捉え方をしない。

登山をしていると必要に迫られて「これでいけるんじゃね?」という発想が浮かぶ時があります。

靴のソールが剥がれたときや布が破れたときのためにダクトテープなどを持っておく人も多いはず。

 真似できるかどうかは経験次第だが、アメリカではポンチョをレインウェア、タープ、桟敷、テントと様々なことに転用するらしい。

これはアメリカだと必ずしもトレイルが稜線上にあるわけではなく、むしろ低いところに道がある場合が多いかららしい。

日本だと稜線上にあることが多く、景色が良い代わりに風がキツい。

ポンチョだと下からの風でめくれあがってしまう危険がある。

日本ではどこでもポンチョというわけにはいかない。

だが参考になる。

 もう一つは朝の寒さを防ぐために寝袋を肩にかけて行動を開始する人もいるらしいということ。

日本でそんなことしたら目立って仕方ないだろう。

アメリカのトレイルはそんなことができるくらい強風がないのだろうか?

そういう工夫をできる自由さと寛容さ、日本にも少し欲しい。

 日本の山岳系雑誌を見ると、まだギア毎の重さを重視している。

だけど軽いから良いってわけではもちろんない。

頑丈なら気にせずガシガシ使える。

どれを軽くするのが自分に合っているか見極める必要がある。

悪天候でも行く人ならウェアは機能性重視、料理好きな人も右に同じ。

そう思うとウルトラライトハイキングは奥が深い。

「なぜ自分は登るのか?」という答えにも行き着きそうだ。

ウルトラライトハイキングは思想的な取り組みでもある。

 

登山初心者も参考にしやすい

 

 本書の前半はウルトラライトハイキングの歴史や思想といった内容だった。

後半は最近登山を始めた方にも読んでもらいたい内容だった。

ギア一つ一つにおける基本的な説明とライトにするための工夫が書かれているからだ。

ゴアテックスを盲目的に信頼していないか?

もしくは防水透湿性の科学的原理を知らないでいるのか?

そういったことにもわかりやすく説明がある。

今後のギア選びにも参考になる良いコンテンツだと思った。

 

 登山であれもこれもはできない。

登山のバックパックで大きいのは80リットルくらいだ。

巨大である。

外に出るのに、もったいない。

それで疲れるくらいなら、転用する方法を考えよう。

無理のない範囲でね。

 

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2017年10月のトレーニングまとめ

月間合計内容

 

ジョギング―――113km

自転車―――――102km

筋トレ―――――ヒップリフト、カーフレイズ、ランジ、バイシクルクランチなどを中心に実施

 

 

症状

 

 20km走ると左足の付け根が痛くなる。

左足は弾発の症状がある。

歩くたびにコキッコキッと鳴ってしまうやつ。

個人的にこの痛みの原因は初心者ランナーによくある筋力不足。

具体的に言うと私は左大臀筋が弱い。

 

 

個人的大臀筋の筋力チェック

 

  1. 寝転ぶ
  2. お尻の筋肉を左右交互に力を入れる
  3. どれだけ体を浮かせられるか体感で確認する

 

 私はこれをやると、右は結構浮かせられるのに、左は右に比べて明らかに低かった。

決まって20km付近から左足の付け根が痛くなるということと、左大臀筋の不足は原因と結果の関係にあると判断した。

 また以前整形外科にこのことで相談しに行ったときも、骨や関節に異常はなく筋肉痛と判断された。

このことからも筋力不足という原因の信頼性は高くなる。

 

 RUNNETを見ると同じような原因で悩んでいる初心者ランナーが多くいた。

筋力不足ということは誰もが行き当たる壁ということ。

自身の体だけにある故障じゃなくてよかった( ;∀;)

 

runnet.jp

 

 

これから

 

 20kmは自分にはまだ早いということか。

ショック。

20km走って大臀筋、足関節背屈筋とかが悲鳴をあげているようじゃ話にならないから仕方ない。

だけどLSDで20kmだと痛まない。

とりあえず10~15kmくらいに抑えて、以前と同様フォームを意識した走り込みを行いたい。

並行して筋トレ。

そして走る日数をその分少しだけ増やしたい。

 

 

山行きたい…

 

 ロードジョグは本当につまらない。

いつでも硬く、変化しない地面。

山のほうが好き。

体を労わるという意味でも。

 

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私、やっぱりキャンプ嫌いです。

 

自然と人間社会は境界線があるのか

 キャンプ、やっぱり嫌い。
なぜかというに自然との一体感が得られない。
現代の文明の利器をフル活用して大層な装備を車で運んでまでフィールドに出る意義を見出せない。
 
 キャンプとは日常生活から飛び出すための方法だという側面があると思っている。
しかしデカいテント、デカい調理台、デカいツーバーナー、ダッチオーブンなどをキャンプでは持っていく。
 それはあなたの部屋にあるものと一体何が違う?
リップストップナイロン?耐水性?デニール
それとも「普段は使わないものだから?」
 
 私からすれば対して変わっていない。
自然はそんなに準備万端の人を手放しで迎えてくれるところではない。
あるいはそういう人には本当の顔を見せてはくれない。
キャンプとは自然を観光化するものなのだ。
 
 自然を自然のまま相手にする。
その時の一体感とともにやってくる、恐怖あるいは畏敬の念。
自分も一個の生命体であり、山の有象無象の生き物と一緒に生を繋いでいるという実存主義的な体験。

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(おそらくクロイロコウガイビル。決してエノキではない(笑)

 

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トレイルランニングのホームコースとしている山。2017年台風21号の爪痕。殺菌効果のありそうな匂いが充満していた。)
 
 
 キャンプでは人との繋がりを感じるだろう。
キャンプサイト」なのだから当然だ。
私は夜から山に入ってトレイルランニングをしながら夜を明かすことがある。
その時の心細さと、沸き立つ自分の生命力のせめぎ合いはなんとも不思議なものだ。
太陽が上がったら感謝のあまり勝手に頭が下がる。
 
 私は自然に入ったら自然と繋がりたい。
神社仏閣に行ってもあまり感動できないのは、そこが私も含めてあなたでも入れる観光地だからだ。
人がいない方が何か感じるものがあったという経験がある人は多いと信じている。
 
 

自然の中で必要なもの

 そんなわけで「キャンプをする人は、何を持って行くかではなく何を持って行かないか」
ということに重きを置いてもらうと、自然との距離が近くなるのでオススメだ。
 
 個人の自由だから強制はできない。
しかし少なくとも、地方の住宅街に隣接するキャンプサイトが賑わっているのに違和感を感じるのは私だけではあるまい。
 
 翻って考えてみると、日本はキャンプする場所がそんなところにまで及ぶほど、自然を欲しているということなのかもしれない。
 
 自然との距離が遠くなると、行動がおかしくなるのかもしれない。
昨今の自然災害によって、日本の地名からどんな場所かを考えることが一時期再評価された。
鬼怒川とかそうだったね。
 
 私は占いや雨乞いを非科学的な、おかしな行動だとは思わない。
むしろ住宅街の隣で合理的にキャンプする方がおかしく思える。
民俗学的なオコナイというのは必死に生を繋ごうとする、非常に実存的な表現でもあったと考えている。
 
 かといって裸になって、山へ帰れなんてことはできない。
それはそれで自殺行為だ。
 少しずつでいい。
「自分の生を支えているものは何か?」
それを確認するためにも、キャンプで結局使わなかったものを置いていけばいい。

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(シンプルだと余計なものが減る。重量、手順、思考など。)
 
 
 キルケゴールは『不安の概念』で表してみせた。
不安こそ自分が存在していると実感させる概念なのだと。
あなたはキャンプで不安を感じたことはあるか?
製品に対する不安ではない。
自己の実在に関してである。
 安全に越したことはないが、人間が大切なことに気づくのはギリギリの時だけだ。
しかもそれは宗教的な体験として自分の脳に深く刻まれるだろう。
「これがあれば、やっていける」
たまには家にあるもののほとんどを置いていってもいいんじゃないか?
 
 

日本のキャンプの弱点あるいはイヤな点

 キャンプより登山の方が好きなのはそのせいなのだろうな。
と、自分では思う。
 日本はキャンプサイトが登山でも指定されている。
「いやいやビバークだから(笑)」というのはグレーゾーンになっている。
それは安全という理由もあるが、一番はゴミだ。
富士山が流し素麺のようにトイレットペーパーで汚い映像は趣味人でなくてもショックだっただろう。
遠くから見ていたのは誰かがケツを拭いていたものだったのかと。
 
 アメリカではご飯をA地点で食べ、休憩をB地点で取り、寝るのはC地点でという行動様式もある。
これは人の痕跡をなるべく残さないためだ。
 日本の有名な山だとそれが一か所に集中し、ヘリで物資やゴミなどを運ぶため、自然をそのままにという意識が薄弱になっている、気がする。
日本式のキャンプの弱点だ。
ゴミは無駄なものではなく、有用だったもの。
しっかり意識を持って「持って行くもの、行かないもの」を考えることは重要だ。
 日本のキャンプサイトがなぜ注意書きの看板だらけになっているか。
自然と触れ合うとともに考えたいものだ。